教育という現象は様々な状況で見られますが、筆者が気になるのはスポーツの現場です。子どもたちが野球の練習に勤しんでいる傍で、コーチを務める大人が罵声を浴びせるのはそう珍しいことではありません。もちろん時には怒って見せることも必要でしょうが、四六時中怖い顔をしたコーチが大声をあげているのを見ると、その効果のほどを疑いたくなります。子どもはそのコーチの元で野球を好きになることが出来るのでしょうか。子どもの時分というのは、大人の言葉、アドバイスから強い影響を受けます。コーチのネガティブなエネルギーを子どもに向けてしまうのには、筆者は明確に反対します。教育論は千差万別ですが、スピリチュアル的には答えは一つしかありません。
スピリチュアルの答えは、教育を上下関係で措定しないということです。これは大人と子供との関係を超えて、全ての人間関係に当て嵌まることです。俗に権力関係と呼ばれるものがそれに当たります。典型例は会社の上司と部下の関係でしょう。彼らは体格面では同等であることに気付きますが、命令口調が生じる時、権力を傘に着ていることには気付きません。教育する上で偉そうにする必要性、必然性は全くないはずです。必要のない言い方で相手を怖気づかせているということがどれほど無様であるのか、全ての人が胸に手を当てて考える必要があります。
仮に怒りを見せて相手を抑圧しても、そのネガティブなエネルギーは自分に返ってきます。つまり最終的に権力を行使した者が攻撃を受けるのです。もちろん上司という立場は会社の運営上必要なのですが、上司自身も教育を受ける必要があります。これをスーパーアドバイジングと呼びますが、履行できている現場はまだまだ少ないのが実情です。

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