この「わたし」を、あなたを通り過ぎてゆく、一過性の形態とみなすことができますか?海に描かれる波のパターンのように。それは、スピリチュアルコーチングで、できるでしょう。では、この「わたし」を「観察している」のはいったい誰でしょう?あなたの身体的、心理的な一過性の形態を意識しているのは、いったい誰でしょう?それが、「本当の自分」です。これが、より深淵な部分にある「わたし」であり、過去にも未来にも束縛されていない「わたし」なのです。日々意識のほとんどを奪っている、問題だらけの人生に対する恐れと欲望のすべてが過ぎ去ったとき、いったい何が残るでしょうか?一本の線です。墓石に刻まれる誕生日と没日のあいだの、1インチか、2インチほどの長さの、一本の線です。エゴの「わたし」にとっては、これは気の滅入る考えです。あなたにとっては、胸のすくような、開放感のある考えです。一つひとつの考えに、完全に注意が奪われてしまっているようなら、頭の声と「本当の自分」とを同一視している証拠です。そうすると、思考は「個我」「偽の自己」にパワーを与えます。これがエゴ、あるいは自分でこしらえた「わたし」です。思考の産物であるエゴは、自分が不完全で不安定だと感じています。これこそ、恐れと欲望が、エゴにとって主な感情であり、活動の原動力である理由です。「どうも頭の中で、自分自身になりすまそうとする声がして、話すのをやめようとしないようだ」。そう気づいたなら、思考を、無意識のうちに「本当の自分」と同一視する習性から目覚めつつある、好ましい兆候です。「声」に気づくということは、自分は「声の主」、すなわち「考える人」ではないといえるのです。

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