あなたは、「退屈している人間」でもなければ、「怒っている人間」でも、「悲しんでいる人間」でも、「恐れている人間」でもありません。退屈も、怒りも、悲しみも、恐れも、「わたしに属するもの」、「個人的なもの」ではないのです。それらはすべて、人間の心の状態の一つに過ぎません。それらはやって来ては、やがて過ぎ去っていきます。やって来て、やがて過ぎ去っていくものは、「本当の自分」ではありません。「なんて退屈なんだろう」。こう感じているのは誰でしょう?「頭にきた」。「悲しい」。「怖い」。こう感じているのは誰でしょう?こうした感覚自体は「本当の自分」ではありません。感覚を感じとっているのが、「本当の自分」なのです。どのような偏見も、思考と一体になっていることのサインです。言いかえるなら、あなたには、もはや「人間の真の姿」が見えておらず、「この人は〇〇な人間だ」という、独自の固定観念を見ているということです。人間の生命の価値を、単なる観念のレベルに引き下げることは、一種の暴力といっても過言ではありません。純粋な意識に根ざしていない思考は、利己主義に走り、したがって機能不全になってしまいます。叡智に欠けた近視眼的な知恵は、極めて危険であり、かつ破壊的でもあります。これこそが、現代社会のほとんどが陥っている状況なのです。科学やテクノロジーといった分野での思考の活用は、それ自体は本質的に善でも悪でもありません。けれども、それが往々にして、純粋な意識に根ざしていないために、破壊的な結果を生んでしまうのです。人類の進化の次なるステップは、「思考の超越」です。それが、いま人類にとって急務なのです。これから、説明しましょう。